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4話 失った命とその供物

last update 公開日: 2026-01-24 16:00:07

「……!何をしているんだ!」

湊はそう言って駆け寄り、私の振り上げた手を掴む。

「くるみに手を上げるなんて……これはどういう事なんだ?」

湊の声は冷たく、そして私の言い分なんてどうでも良いと思っているのが伝わって来る。私の手首を掴んだその手には、異常な程に力が入っていて、それが私に対する怒りなのだろうと容易に想像出来た。

「いつからここに居た?正気なのか?自分が今、何をしようとしていたのか、分かっているのか?」

矢継ぎ早にそう言い、私の手を払う。私は力いっぱい払われた事で体のバランスを崩し、倒れ込む。反射的に湊を見る。湊はまるでお姫様を守る騎士のように私の前に立ち、背後の愛沢くるみを守っている。湊の背後では私を見下すように歪んだ微笑みを見せる愛沢くるみ。

仮にも。

私は湊の妻で、流産したばかり。そんな自分の妻を気遣うどころか、別の女を自分の妻から庇う夫。

しかもこの人はさっきまで愛沢くるみの妊婦検診に付き合っていたのだ。

私が流産の処置をしていた時に、この人は自分の妻を放り出して、他の女のお世話をしている。

私に自分の子供を産む資格なんて無いと言い切った男……。

その男に守られている彼女は私に対する悪意を隠しもせず、私を嘲笑った。

もう全てがどうでも良いと感じた。

「湊」

私は蔑むように私を見ている湊の視線、そして嘲笑っているくるみの視線を受け止め、彼らの目を見ながらはっきりと言う。

「……離婚しましょう」

◇◇◇

私の家、湊の家、そして颯太の家は昔から家同士の付き合いがあり、いわば幼馴染だった。一方で愛沢くるみは私の家、佐伯家に仕えていた家政婦の娘で私とは同い年だった。

幼い頃から一緒に居るとは言え、愛沢くるみは使用人の娘で、私や湊、颯太とはやはり扱いが違っていた。けれど愛沢くるみはその愛くるしさで湊や颯太からは可愛がられていたし、いつも怯えたように彼らの後ろをついて回っている、守ってあげなくてはいけない小さな白い花のような存在だった。

私は幼い頃から湊の事が好きだった。

けれど、いや、だからこそ、分かっていた。

湊と颯太の視線が向けられていたのは愛沢くるみだった事を。

愛沢くるみはか弱くて、いつも何事も決められなかった。だから時には湊が、時には颯太が愛沢くるみの手を取って、その手を引いた。愛沢くるみはいつも誰かに手を取られ、守られながら生きて来たのだ。

対して私は幼い頃から自分の事は自分で、と躾けられていた。使用人の居るような家だったけれど、身の回りの事は自分でやる、そんなふうに躾けられた。だからなのか、私は自分で自分の事は決める事が出来たし、手を引かれなくても歩く事が出来た。だから私には愛沢くるみの在り方は真似が出来ないと思っていたし、実際にそうだった。

そのうちに私の家、佐伯家と湊の家、久遠家に縁談が持ち上がり、私は湊と結婚する事になった。

そして同じタイミングで颯太と愛沢くるみも結婚した。

私は愛沢くるみが颯太と結婚すると聞き、胸を撫で下ろした。これでやっと、湊は愛沢くるみと離れられる、と。私と結婚したのだから、これからは愛沢くるみでは無く、私を見てくれる、と。

結婚してすぐの頃は穏やかで幸せと言って良い日々だった。二人とも医学会ではそれぞれの分野で成功を収めていた。私は救命医として、湊は脳外科医として、輝かんばかりの功績を収めていたのだ。

けれどそんな幸せな時間は長くは続かなかった。

颯太が事故に遭ったのだ。

事故に遭った颯太が搬送された病院は、私と湊が勤めていた聖カトリーナ国際医療センター。私は救急救命医として、颯太を担当した。

結果として私は颯太を救う事が出来なかった。

ERで立ち尽くす私、そんな私を睨み付ける愛沢くるみ、そこへ駆け付けて来た湊……。

愛沢くるみは湊に縋りつきながら、私を指さし、言ったのだ。

「彼女は救急医療のスペシャリストなんでしょう?なのに何で颯太を助けられなかったの!」

その言葉は私と湊の間を切り裂くのに十分だった。湊は私を見てその瞳に冷たさを宿し、あたかも自分の親友を殺したのは私だとでも言うかのようだった。

当時の私はそれでも思っていた。颯太の死の責任は私にあると。その裏でうごめく悪意に私は気付く事が出来なかったのだ。

――本当は颯太は助かる可能性があった事、そしてその可能性について、当時知っていたのは愛沢くるみだけだった。

颯太の死後、颯太の事故の経緯が世間に広く伝えられ、見出しが躍った。

~天才医師・久遠燈の失敗!ずさんな管理体制とその手腕の嘘~

~久遠燈が起こした医療過誤!その真実とは?!~

院内での調査では「事故」と結論付けられたが、世論は違っていた。そして私自身、罪悪感に苛まれ、颯太の死から逃れる事が出来なかった。

だから私はメスを置いたのだ。

そして家庭に入る事を選んだ。

それからの二年、ずっと自分の全てを湊に捧げて来た。何も求めず、良き妻である事。決して出過ぎた真似をせず、湊のサポートに全身全霊を傾けて来た。

――けれど今日。

私は思い知ったのだ。

自分の譲歩も、犠牲も、決して湊の心を溶かす事は無かった事を。そして最愛になる筈だった私の子供は、愛沢くるみと湊にとって、ただの供物に過ぎなかった事を。

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